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蕗屋清一郎は、事件の二三日後に第一回目の召喚を受けた際、係の予審判事が有名な素人心理学者の笠森氏だということを知った。そして、当時すでにこの最後の場合を予想して少なからず狼狽した。
彼は、種々の書物によって、心理試験の何物であるかを、知り過ぎる程知っていたのだ。
そして、ただ、いかにしてこの難関を切抜けるべきかを考えた。
心理試験には色々な方法があるけれど、最もよく行われるのは、あの精神分析家が病人を見る時に用いるのと同じ方法で、連想診断という奴だ。
「障子」だとか「机」だとか「インキ」だとか「ペン」だとか、なんでもない単語をいくつも順次に読み聞かせて、出来るだけ早く、少しも考えないで、それらの単語について連想した言葉を喋らせるのだ。
そして、それらの意味のない単語の間へ、「金」だとか「財布」だとか、犯罪に関係のある単語を、気づかれぬように混ぜて置いて、それに対する連想を調べるのだ。
問を発してから答を得るまでの時間を、ある装置によって精確に記録し、その遅速によって、例えば「障子」に対して「戸」と答えた時間が一秒間であったにも拘らず、「植木鉢」に対して「瀬戸物」と答えた時間が三秒間もかかったとすればそれは「植木鉢」について最初に現れた連想を押し殺す為に時間を取ったので、その被験者は怪しいということになるのだ。
この種の試験に対しては、「練習」が必要なのは云うまでもないが、それよりももっと大切なのは、蕗屋に云わせると、無邪気なことだ。つまらない技巧を弄しないことだ。
例えば「植木鉢」という刺激語に対しては、むしろあからさまに「金」又は「松」と答えるのが、一番安全な方法なのだ。
というのは蕗屋はたとえ彼が犯人でなかったとしても、判事の取調べその他によって、犯罪事実をある程度まで知悉しているのが当然だから。
そして、植木鉢の底に金があったという事実は、最近の且つ最も深刻な印象に相違ないのだから、連想作用がそんなふうに働くのは至極あたり前ではないか。
唯、問題は時間の点だ。これには「練習」が必要である。「植木鉢」と来たら、少しもまごつかないで、「金」又は「松」と答え得るように練習して置く必要がある。
彼はさらにこの「練習」の為に数日を費した。
かようにして、準備は全く整った。
蕗屋は考えるにしたがって、段々安心して来た。何だか鼻唄でも歌い出したいような気持になって来た。彼は今はかえって、笠森判事の呼出しを待構えるようにさえなった。
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