江戸川乱歩の短編推理小説「心理試験」を抜粋して再構成した。
9ページあり、読み通すのに8分ほどかかります。
最後に【巳巳による解題】があります。
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心理試験
江戸川乱歩
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蕗屋清一郎が、なぜこれから記すような恐ろしい悪事を思立ったか、その動機については詳しいことは分らぬ。又たとえ分ったとしてもこのお話には大して関係がないのだ。
彼がなかば苦学みたいなことをして、ある大学に通っていた所を見ると、学資の必要に迫られたのかとも考えられる。
彼は稀に見る秀才で、しかも非常な勉強家だったから、学資を得る為に、つまらぬ内職に時を取られて、好きな読書や思索が十分出来ないのを残念に思っていたのは確かだ。
だが、その位の理由で、人間はあんな大罪を犯すものだろうか。恐らく彼は先天的の悪人だったのかも知れない。
難点は、云うまでもなく、いかにして刑罰を免れるかということにあった。
倫理上の障害、即ち良心の呵責というようなことは、彼にはさして問題ではなかった。
*
「あいにく女中が居りませんので」と断りながら、老婆はお茶を汲みに立った。蕗屋はそれを、今か今かと待構えていたのだ。
彼は、老婆が襖を開ける為に少し身を屈めた時、やにわに後から抱きついて、両腕を使って(手袋ははめていたけれども、なるべく指の痕はつけまいとしてだ)力まかせに首を絞めた。
老婆は咽の所でグッというような音を出したばかりで、大して藻掻きもしなかった。
ただ、苦しまぎれに空を掴んだ指先が、そこに立ててあった屏風に触れて、少しばかり傷をこしらえた。
それは二枚折の時代のついた金屏風で、極彩色の六歌仙が描かれていたが、そのちょうど小野の小町の顔の所が、無惨にもちょっとばかり破れたのだ。
老婆の息が絶えたのを見定めると、彼は死骸をそこへ横にして、ちょっと気になる様子で、その屏風の破れを眺めた。しかしよく考えてみれば、少しも心配することはない。こんなものが何の証拠になる筈もないのだ。
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