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事件から一ヶ月が経過した。予審(注:当時の司法制度)はまだ終結しない。笠森判事は少し焦り出していた。
ちょうどその時、老婆殺しの管轄の警察署長から、彼の所へ一つの耳よりな報告がもたらされた。
それは事件の当日五千二百何十円在中の一個の財布が、老婆の家から程遠からぬ××町において拾得されたが、その届主が、嫌疑者の斎藤の親友である蕗屋清一郎という学生だったことを、係の者の疎漏から今日まで気付かずにいた。が、その大金の遺失者が一ヶ月たっても現れぬ所をみると、そこに何か意味がありはしないか。念の為にご報告するということだった。
困り抜いていた笠森判事は、この報告を受取って、一道の光明を認めたように思った。早速蕗屋清一郎召喚の手続が取り運ばれた。
ところが、蕗屋を尋問した結果は、判事の意気込みにも拘らず、大して得る所もないように見えた。
なぜ、事件の当時取調べた際、その大金拾得の事実を申立てなかったかという尋問に対して、彼は、それが殺人事件に関係があるとは思わなかったからだと答えた。
この答弁には十分理由があった。老婆の財産は斎藤の腹巻の中から発見されたのだから、それ以外の金が、ことに往来に遺失されていた金が、老婆の財産の一部だと誰が想像しよう。
しかし、これが偶然であろうか。事件の当日、現場からあまり遠くない所で、しかも第一の嫌疑者の親友である男が(斎藤の申立によれば彼は植木鉢の隠し場所をも知っていたのだ)この大金を拾得したというのが、これが果して偶然であろうか。
判事はそこに何かの意味を発見しようとして悶えた。
「どんな小さなことでも、何か一つ確かな手掛りを掴みさえすればなあ」判事は全才能を傾けて考えた。
現場の取調べも幾度となく繰返された。老婆の親族関係も十分調査した。しかし何の得る所もない。そうして又半月ばかり徒らに経過した。
たった一つの可能性は、と判事が考えた。
蕗屋が老婆の貯金を半分盗んで、残りを元通りに隠して置き、盗んだ金を財布に入れて、往来で拾ったように見せかけたと推定することだ。だが、そんな馬鹿なことがあり得るだろうか。
その財布も無論調べて見たけれど、これという手掛りもない。それに、蕗屋は平気で、当日散歩のみちすがら、老婆の家の前を通ったと申立てているではないか。犯人にこんな大胆なことがいえるものだろうか。
斎藤を疑えば斎藤らしくもある。だが又、蕗屋とても疑って疑えぬことはない。
ただ、分っているのは、この一ヶ月半のあらゆる捜索の結果、彼等二人を除いては、一人の嫌疑者も存在しないということだった。
万策尽きた笠森判事はいよいよ奥の手を出す時だと思った。
彼は二人の嫌疑者に対して、彼の従来しばしば成功した心理試験を施そうと決心した。
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