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怒り

メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。

走れメロス  太宰治

​昭和15年(1940年)
 

 「走れメロス」・・・太宰治による、言わずと知れた友情、信頼、正義などを一点の曇りもなく謳い上げた傑作である。美徳を純粋培養したかのような物語は、モダニズム小説の極致といえるだろう。

 「走れメロス」は、「人間失格」と対をなしているかのような作品である。人間の醜い面をことさらに強調し、無気力な罪悪感を赤裸々に描いた「人間失格」と比較すると、なおさら「走れメロス」の理想化された感情がきらびやかに見える。そして古代ギリシア時代という異国の遠い過去を舞台にすることによって現実離れした感じを自然にしている。

 さて、ここで作者は義憤を抱いて王を殺そうとするメロスをむしろ肯定的に描いている。人質にされる親友のセリヌンティウスもメロスを責めない。すなわち、美徳のためにテロは許されるというわけだ。もちろんこの小説からは血なまぐささは感じられない。ここに描かれる怒りと暴力は、絵具で塗ったような、決まりきった記号のように描かれている。

​ 「メロスには政治がわからぬ」と書かれているが、メロスのテロ行為は明らかに政治的であり、メロスの純粋な感情はただちに政治的である。怒り、愛情や信頼という感情は、政治的原理なのである。

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