理想的な日本国民

日本国民は、意識的または無意識的に、支那およびその他の東亜諸民族に対する深き愛情を抱いている。
日本を東亜の指導者たらしめる最も根本的なる資格は、実にこの愛情である。
東洋においては、政治とは「仁」の具体的実現に他ならぬと考えてきた。
大東亜共栄圏は、先ず第一に日本の「仁」の客観的機構でなければならぬ。

新亜細亜小論 大東亜戦争の原理

  大川周明

​昭和17年(1942年)

 大川周明は岡倉天心の「アジアは一つである」という思想に強い影響をうけていた。アジアは多にして一。多様でありながら宗教的な統合が可能であると考えた。各宗教が目指すものは「神」「道」「仏」などと呼称は違うが、同じ「宇宙の大霊」であり、大霊の意思に基づいて貧富の差のない理想的な統治が実現すると考えていた。そのために資本主義社会を打倒すべきと思っていた。マルクス主義のいう科学や歴史が、大霊に代わっているかのような思想である。

​ そして大川は、世界の宗教と統治のまとめ役が天皇であると論じたかったのだが、天皇を前面に出すとアジアの多様性を否定する支配となってしまう。大川はその課題を解けない状態だった。そしてイスラム教の浸透力とその政治への影響に強い興味を抱き、天皇とムハンマドを同列化したかったようである。

 

 さて、ここでいう「支那およびその他の東亜諸民族に対する深き愛情を抱いている」日本国民とは一体誰のことだろうか?それは一種の理想化された日本国民の姿である。 

 この文章は対米戦が行われているさなかに書かれた。大川は対米戦争に勝てないことは分かっていたが、対米戦を歴史的に位置づけ、日本をアジアの指導者とするアジア解放の戦いと位置付けなければならなかったのである。

 

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日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

日本国憲法前文

昭和21年(​1946年)
 

 日本国憲法前文には、不思議な言葉が現れる。「人間相互の関係を支配する崇高な理想」というものだ。それは何だろうか?

 内閣見解では、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、「友愛、信頼、協調というような、民主的社会の存立のために欠くことのできない、人間と人間との関係を規律する最高の道徳律」のことである、との答弁記録がある。https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/188/touh/t188016.htm

 国と国との関係も、この「崇高な理想」に対する信頼のもとに築くことができ、それは一国の生存を掛けるほど確かなものなのだそうである。